ある日の海7 「舟屋の里」
今回の旅の目的の一つは、丹後半島にあった。
一番のお目手当は、半島東岸の伊根集落である。
江戸中期から続くという、舟屋が建ち並ぶ入江を訪ねたかったのである。
天橋立駅から部活帰りの高校生でいっぱいのバスに乗った。
透明度の高い海の景色を楽しみながら、およそ四十分。
目の前には、遙か昔にNHKの「新日本紀行」で知り、知人の描いた風景画で、伊根という土地の名を覚えた景色が拡がっていた。
バスの到着を待って出航する伊根湾めぐり遊覧船に乗って、まずは海上から伊根集落を遠望する。
小さな遊覧船だが、湾内にはかなり広い範囲で波が立つ。
このような景色が、湾内をずらりと取り囲んでいる。
一階が入江に続く舟の収蔵庫、二階が住居になっている民家は、伊根の他では知らない。舟屋は、天然の良港である伊根湾を囲んで230軒ほど続いている。
こんな風景が、よくぞ、現代に残ったものである。
※追記:2015年に三方五湖の湖畔で見かけました。
遊覧船を下りて、伊根湾に沿って、集落の中を通る細い一本道を歩き始める。
傍らの舟屋の中には、江戸時代を思わせるようなこんな景色も見られた。
漁に出ている舟ではないかもしれないが、少なくともディスプレイではない。
海辺の陽射しは強い。喉はカラカラだし、お腹も空いて来た。
船着き場から10分ほど歩くと『お食事かもめ』なる看板が……。
迷うことなく暖簾をくぐり、二階へ上がると、湾全体が見渡せる素晴らしい眺めが待っていた。
ビールと刺身の盛り合わせ、そして丹後名産の岩ガキを頼んだ。
新鮮でジューシー。冬場の牡蠣では味わえない独特の渋みが最高である。
食事が終わって、コーヒーを頼んでいると、壁の大正期の鯨漁の写真に目が行った。 食堂の奥さんのお話では、クジラやイルカが湾内に入ってくる日も少なくなかったそうである。
今でも、沖の定置網にはイルカが掛かってしまうこともあるとのことだ。
だが、現在の伊根集落では漁業に従事する人は、極めて少なくなっているそうだ。
かつては、冬場は近海で操業し、北海道方面に遠洋漁業に出かける大型漁船が何艘も舫っていた。
昭和40年代から、休日のない漁師を嫌って、都市へ勤めに出る人が増えた。
漁獲量もぐんと減り、現在の伊根漁港は火が消えたようであるとのことだった。
漁業から離れても、伊根の人々は、家を建て替える時には、舟屋造りを選んできた。 舟は日常の足として欠かせぬものであり、クルマに置き換えることはできなかったのである。
伊根湾の干満時の潮位差は少なく、30cmほどしかないそうだ。
「海が荒れている時に、浸水の心配なんかはないんですか?」と伺うと、 「昔からの建物の造りだから、今まではどんな嵐でも心配するようなことはなかったんです。でも、最近は水位が上がってきちゃって、わたしが嫁に来た時にはいつも出ていた岩がほら……」
奥さんが指さす先には、目測で20cmほどの海面下に岩が見えた。
これも地球温暖化の影響なのだろうか……。
昔ながらの舟屋を今に残した伊根の人々の生き方に感じ入ったと伝えると、 「私らは何とも思ってこなかったのに、皆さんが珍しがって来て下さって、なんだか不思議な気がしますね」
奥さんは人懐こい笑顔で笑った。
漁港から眺めた平田地区の家屋。
古い家屋だけでなく、比較的最近建て直した建物も舟屋の形式を守っている。
漁船の姿の見えない漁港では、地元の子どもたちが釣りに熱中していた。
食堂の奥さんは、雪は少なくバスも止まらないと言っていた。
今度は冬場に訪ねてみよう。