ある日の空37 「八ヶ岳の空」
連休はそれこそ一年ぶりに、ゆっくり出かけることができた。
帰りがけに弁当を食べたのは、こんな場所だった。
美濃戸口近く、牧草地を望む林道に車を駐めると、さわやかな高原の風が吹き抜けていった。
月曜日の八ヶ岳の空は蒼かった。
カテゴリー「旅の想い出」の検索結果は以下のとおりです。
連休はそれこそ一年ぶりに、ゆっくり出かけることができた。
帰りがけに弁当を食べたのは、こんな場所だった。
美濃戸口近く、牧草地を望む林道に車を駐めると、さわやかな高原の風が吹き抜けていった。
月曜日の八ヶ岳の空は蒼かった。
オホーツク海の夏が好きだ。
晴れ渡った空の下に輝く、透明なオホーツクブルーは素晴らしい。
だが、この写真のように、8月の終わりなのに秋を予感させるオホーツクも悪くない
写真の右下にある木柵に似たものは防氷堤である。
流氷が押し寄せて、海岸付近の施設を破壊するのを防ぐ、厳しい冬を思わせる施設である。
防氷堤の上に一列に並んでいる黒い鳥はウミウである。
中景の漁船はこの地方でよく見る形で、おそらくホタテガイ漁の作業をしているものと思う。
この地方のホタテは日本一だと思うが、その話は長くなるので、またの機会に。
全国で一番、開設期間が短いという沙留海水浴場で撮影したもの。
ブログを見てくれている知人から、どんなカメラを使っているのかと聞かれた。
僕は風景写真を趣味で撮り始めた頃から、ペンタックスとフジの中判カメラで撮ってきた。
一眼レフのデジカメは、ペンタックスのK-10D→K-7→K-5と三代の中級機を使い続けてきた。
調べてみたら、ほとんどの写真は初代のK-10Dによるものだった。
それだけ、最近は出かける機会が少ないということで、何とも淋しい限りだ。
K-5は素晴らしいカメラだが、K-10DのCCDによる色合いも捨てがたいものだ。
昨日、K-5のマイナーチェンジモデルのK-5ⅡとK-5ⅡSが発表された。
AFや液晶など、より完成度が高くなっているようだし、K-5ⅡSという、ローパスフィルターレスモデルが出たのは驚きだ。
来月中旬の発売だが、今回は我慢するつもり……。
カメラに興味のない人には、意味のない記事になってしまった。
ごめんなさい。
一昨日のエントリーで書いた新日本海フェリーの続き。
秋田港停泊中には、たくさんのウミネコが寄ってくる。
乗客から貰える朝ご飯を狙っているらしい。
人を見ても少しも逃げようともしないので、こんな写真がデッキ散歩のついでに朝飯前に撮れてしまう。
成鳥は可愛いとは言えない顔つきだが、ヒナはこんなに可愛らしい。
まるで、朝が早いので寝ぼけているように見える。
どんな動物でも子供は愛くるしい。
3枚目と4枚目は、秋田港入港前のデッキ上から撮影した。
3枚目の写真は鳥海山のはずである。
4枚目はとつぜん、薄明光線が現れて心躍らせてシャッターを切ったもの。
詳しくは書けないが、今日はとてもありがたいことがあった。
小説の執筆上で悩んでいたことを、お忙しいのにも関わらず、ある方が親身に教えて下さったのだ。
執筆が暗礁に乗りかけていたので、どれだけありがたかったことだろうか。
それこそ、この写真のように暗い空に明るい一条の光が差した感じだった。
ご厚情には、容易には報いることができず、心苦しいばかりである。
キャンプ場ではないが、日本最北端の宗谷丘陵に最高の宿泊施設が存在した。
「宗谷岬えこ・びれっじ」という公共の宿泊施設である。
数棟の白いコテージが、周氷河地形の雄大な牧草地に建てられていた。
電気は棟ごとに風車の回る小型の風力発電なので、部屋の壁に設けられた電圧計を眺めながら
はらはら気分でノートPCを使わなければならない。
トイレは用を足すのが面倒くさい、おがくずを利用したバイオトイレ。
ステンレスの露天風呂(牛の水飲み槽の再利用?)は、用意された古材を自分で燃やして入る。
そんな極めつけのユニークな施設だった。
この施設は2007年の夏に偶然発見して欣喜雀躍と宿泊を頼んだら、子どもの団体の予約が入っていてダメだった。
あまりにも悔しくて、2008年の夏にリベンジで訪れ、2泊した。
何もない丘で過ごした月夜の素晴らしさは、ほかの場所では経験のできないものだった。
次の日からは宗谷海峡を包む濃霧に覆われてしまったが、それもまた、楽しかった。
稚内市が出資する公共施設だったのだが、議会で利用率の低いことなどが指摘され、廃止されてしまった。
二段ベッドは羽布団で、宿泊料はたったの2,000円だった。
やはり低廉な料金のバーベキューセットを頼んだら、本業は牧場主という管理人の方が、宗谷黒毛和牛の霜降りを持ってきてくれた。
その方は「今朝いっぱい獲れたから、これはサービスね……」と微笑んで、ビニール袋いっぱいの茹で立てのシマエビを下さった。
翌朝は牧場の事務所で朝食を頂き、牛舎などを見学して、牛を育てる難しさと楽しさについてのお話を伺った。
「来年、来たら馬に乗せてあげるよ」と約束したのに、仕事の都合で行けなかった。
次の年の夏にアクセスしたら、サイトも消えていた。
本当に残念でならない。
写真はエコビレッジ近くの山道から望む8月の宗谷海峡とサハリン。
宗谷丘陵からは、異郷の島影がこんなに近く見える日もある。
北海道の旅には、新日本海フェリーを使うことが多かった。
函館行きは別で、これは飛行機を使っていたし、寝台特急北斗星のファンでもある。
だが、道北や道東を廻る場合には、往路は新潟~小樽航路、
帰路は苫小牧~秋田~新潟航路が便利だった。
小樽に早朝着いて日本海沿いを北上すると、昼ご飯は稚内で食べられる。
宗谷付近で泊まって、オホーツク沿いに網走を目指す。
そんなパターンが定着していた。
道東の好きな場所でテントを張って、大自然に包まれた年に一度の幸せな数日間を過ごす。
木陰で珈琲を飲んだり、海を眺めながら露天風呂に入ったり、サイトに現れる野生動物にレンズを向けたり……。
道内最終日は美瑛付近で泊まると、午後ゆっくり出たとしても、19:00過ぎに苫小牧東港を出るフェリーには余裕で乗れるのである。
早めの昼ご飯を摂れば、十勝の山奥、東大雪からでもこのフェリーには間に合う。
初日は兜沼公園キャンプ場や稚内森林公園キャンプ場、さるふつキャンプ場、
最終日は、国設白金野営場か国設然別峡野営場あたりがお気に入りだった。
過去形でしか語れないのがつらい。
仕事が忙しくて、数年来、新日本海フェリーに乗ってはいない。
目を閉じると2等寝台(現在はツーリストBというらしい)の狭いベッドに響くエンジンの振動が蘇る。
写真は、秋田港入港前のフェリーしらかばのデッキ上から撮った日本海の黎明。
不明にして沿岸の知識がないのではっきりしないが、男鹿半島沖だろうか。
左手の岬には灯台の灯りがかすかに写っている。
今となってはなつかしい8月終わりの景色である。
第6回角川春樹小説賞を受賞し『私が愛したサムライの娘』でデビューしました。同作で第3回野村胡堂文学賞を受賞。
歴史時代小説とミステリを書いています。20年来のフラメンコファンです。